ことだま
Posted by nobidora on 2012-01-23
先日、第三舞台 復活&解散公演の楽日(東京)へ行ってきました。
このお話は「僕のブログ、全部読んでくれてありがとう」という台詞で幕を閉じます。
すなわち、第三舞台の歴史もこの台詞で幕を閉じました。
(このお芝居の批評は真っ二つに割れていますが、まぁそれは当然でしょう。個人的には片方の側で必死になっている輩がイタい。自分を見つめ直してからモノを言え。)
第三舞台のお芝居を観るにつけ、自分が発する言葉に色艶が無い事、言葉の奥行きが無い事に萎えます。
「絶望は怒りというエネルギーを生む。でも諦めは違う。人は諦めるとただうずくまる。」 (深呼吸する惑星)
「愛する人をホームで見送る時、あなたは一緒に乗り込む自分を想像する。強く強く想像する。その時あなたの人生は分裂する。ホームで見送るあなた、電車に乗り込むあなた。2つの人生に『今 ここ』が分裂する。勿論ホームに残ったあなと電車に乗り込んだあなたは、決して交わる事は無い。ただ分裂した人生が奇跡的に交わる一瞬がある。『それがデジャヴだ。』」(Be Here Now)
「分析するしかないじゃない!粘り強く相手を分析して自分を強くするしかないじゃない!答えなんか簡単に転がってないのよ。そんなに簡単に答えが欲しかったらどっかの新興宗教へでも行けば良いじゃない。先祖か水子か霊か悪霊か、すぐに答えを教えてくれるわよ。(以下略…この後が良いんですけどね)」(トランス)
のびどらはこのお話(深呼吸する惑星)を2回観ています。
前回は昨年12月。
このブログのエントリが大々的に消えたのは、このお芝居の影響が無い訳ではありません。
お芝居の中で語られているように、オイラが死んだ場合、このページは契約が残っている期間は見えているでしょう。
でもその後は消えるはず。
金の切れ目が縁の切れ目。この場合は人生の切れ目。
それはそれで良いです。
大した文章ではないですから。
でもオイラが生きた証は残したい。
独身で(たぶん)隠し子が居ないオイラにとっては、写真がその手段なのかと思っています。
かといって証となるような写真が撮れているかというと… うーん…
先日お会いした某I氏は、ご自身が撮影した写真を奥様に見せた際「写真を見せて下さい」と言われたそうな。
厳しいですなぁ…
今のオイラが持っている自信満々な写真も、他人から見たら「?」なのかもしれないです。
どんなに思い入れのある恋愛でも、他人から見たら三文小説のネタにもならない。
写真家の思い入れのある写真ほど周りからは評価されないのかもしれないですね。
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